2005年8月13日 (土)

エトピリカは高く飛ぶ

7月のはじめ、歯舞諸島・色丹島周辺海域のクルーズに家内と,鳥仲間のMr.T氏と3人で参加してまいりました。バードウォッチングのために、某旅行会社が企画した『チャーター船でのクルーズ』です。全国から40名近くのバーダー・鳥類学者・保護運動家・写真家が参加しました。他にマスコミの方も。(7月10日の産経新聞一面を大きく飾りました。)

20050710

のっけから、ちょっと横道にそれますが、クルーズなどと言うと、クイーンエリザベスとかクリスタルハーモニーとか、優雅でハイソなイメージですが、我々の乗った船はわずか450トン弱の客船。船名をロサ・ルゴサ号。北方領土への墓参を目的に建造された船だそうです。いわゆる「ビザなし渡航」専用の客船ということ。 というよりは、ご記憶でしょうか、『あの鈴木宗男氏が、外務省の役人を船の中でぶんなぐった』という事実が、宗男バッシングのころ暴露されたことを。そう、わがロサ・ルゴサ号船内こそ、宗男暴力沙汰の事件現場なのです。

さらに横道にそれます。このロサ・ルゴサ号のオーナーは、根室にあります某老舗ホテルのオーナー。われわれのクルーズにも同行しました。この船、北方領土への墓参を目的に建造されたわけですから、建造に際して、国からの補助金はしっかり出たと見ていいでしょう。

しかしながら一年に幾度もない墓参のための航海だけですから、運航に国の助成金はでるとしても、それでもきっと赤字なのでしょう、船員さんは、みな70歳前後のご老人ばかり。大丈夫かいなと思いつつ乗船。

せめて鈴木宗男がすすめていたように、歯舞諸島と色丹島の、いわゆる2島だけでも早く返っていれば、観光客もどっと来て、この船もきっとドル箱となったものを・・・・。

私もビジネスマンのはしくれ、事業としてのこの船のことを、なんとなく考えてみているうちに、はたと全てが読めたような気がしたのであります。

この船のオーナー氏、実は、なんとなんと鈴木宗男氏の後援会長(だった?)とのことなのです。

二島返還論者で、二島の早期返還を実現直前までもっていった剛腕の宗男氏。二島返還後の利権は、ちゃあんと押さえにかかっていて、見過ごしたりしないんですよね。・ ・・そして失脚。

宗男政治の利権の構図というか、抜け目のなさというか、政治の悲喜劇を垣間見るような、ワイドショー的興味がふつふつと湧き出でるのでありました。

でもまたまた好機が来たようです。郵政解散を機に復活を目指しているようですね。懲りずに。

後で調べてわかったのですが「ロサ・ルゴサ」とは、ハマナスの学名。

つまりRosa rugosaと書くラテン名。なかなか気の利いた命名ですよね。

因みにハマナスの花言葉は『悲しくそして美しく』ならびに『照り映える容色』だそうです。Rこれも宗男さんにふさわしい。

横道はこのくらいにします。 ツアーの概略です。ちょっとばかりズラズラ書きます。

7月1日、バスで帯広・十勝川河口周辺の湖沼とまわって、その日は釧路泊。

2日は再び同じバスで一路、根室半島の付け根にある根室港へ。到着後直ちにロサ・ルゴサ号に乗船。午後13時半ごろ出航。半島に沿ってオホーツク海を東進、納沙布岬と貝殻島の間を南下して抜け、太平洋へ。

ふたたび東へ進路をとり、色丹島の南海域で日没。終日霧がたちこめていたが、視界はそこそこで、海鳥を見るのに不都合はない。気温は最高9℃。風弱く、波は終日穏やかであった。船は択捉島南方沖合いの公海上で停泊、朝を待つ。

7月3日は朝2時半には甲板へ。3時ごろから明るくなり始める。船は3時30分ごろ錨を揚げる。これまでの調査から、鳥がもっとも多いとされる国後水道(国後島と択捉島の間の海峡)へは、今回ロシア側からの乗り入れ許可は下りないとのことで、国後水道入り口の、択捉島・色丹島から12海里以内の近海に立ち入らない範囲でギリギリのところまで、船を進める。

その地点から再びもどって南下。色丹島を巻くように進路を西へ。昨日来た航路を逆にたどり、根室港へは午後5時入港した。

前日と同様穏やかな海と霧の一日。最高気温はおそらく10℃強。根室市内泊。(件の船オーナー氏のホテルに泊まりました)

7月4日は根室市内・風連湖・霧多布とまわって、釧路へ。夕刻の便で羽田へ向かいました。

このツアーでの鳥と哺乳動物の記録は、探鳥録にあるとおりです。

鳥の記録中、私自身として確認できなかった分は、カッコしてあります。つまり89種中7種は、残念ながら見ていません。とくにマダラシロハラミズナギドリを見逃がしたのは、かえすがえすも無念で無念で、まこと痛恨の一語。

すでに大分長くなってしまいました。これからがコアなのですが、長くなりすぎそうですので、あとは箇条書き的にコメントすることにします。

マダラシロハラミズナギドリが、日本近海を6~7月頃通過することがわかったのは、ごく最近のこと。ニュージーランド周辺の小島で3月頃繁殖し、8月頃ベーリング海で過ごします。途中日本近海を通ることが通信衛星を使った研究で知られるようになったものです。日本の図鑑に初めて記載されたのは、平成14年。

・・・・これを見逃したのです。残念無念さをお察しください。いやいや、また歯舞色丹クルーズに再度参加する口実が出来たと考えれば、よかったかも。

私にとってはじめての鳥はエトピリカツノメドリの2種。コアカゲラは大学4年のとき以来35年振りで2回目。

③ エトピリカは、20羽位は見ることが出来ました。エトピリカが甲板の上を飛んだり、船近くで浮いていたりすると、みなその一点に集中します。飛び去るのを見届けると、甲板上は拍手拍手。そして「バンザーイ」「ブラボー」「やったー」の大歓声。お互いはじめての人同士ながら、ニコニコ顔でよろこびを分かち合うのです。

因みに、アイヌ語で「エト」は「嘴」、「ピリカ」は「美しい」という意味。 それから、エトピリカは他のウミスズメ類とくらべかなり高いところを飛びます。

④ ツノメドリは若い個体を1羽。たぶんこれを確認できたのは、私ともう二人だけのはず。そう言うのってちょっとうれしいのですよね。当然このことは、他言しませんでした。

⑤ オットセイは随分いました。たぶん100頭ぐらいは見たと思います。メスばかりだったと思います。ひょうきん者で足鰭を水面上に高く上げ、さもリラックスした感じで波間を数頭ずつの群れで漂っています。

船に乗っている間、睡眠時間と食事のとき以外は、パーフェクトに甲板にいました。2日目などは2時半すぎから午後5時まで、朝食と昼食、数度のトイレ以外、舳先に近い甲板で海鳥を探し続けたのです。

とにかく寒い1日半でした。天候が荒れなかったことがなによりでした。

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